『日常』が非日常になる前に
親の老い。それは必ず待ち受けていること。脚が悪くなったり目が悪くなったり、飲んでいる薬が多くなったり。
生きていれば、それはある程度仕方ないこと。でも、それを直面するには私の精神がまだまだ幼いことを感じる。
私は大学を卒業し、社会人になってから実家を出た。そこからは正月に帰るくらいで、仕事がシフト制だったので正月も仕事で帰れないこともあった。
たまに帰るとお金をくれたり、野菜や日用雑貨を持たせてくれた。
そうして『日常』を過ごしている間に、いつの間にか親の年を感じた。
前職を辞めて暫くは実家に住んでいたが、あまり家事等も手伝わず学生時代のように親に頼り切る日々だった。
一緒にいると、『日常』過ぎて幸せを感じられなくなっていた、麻痺していた。
来月、私はこの家系から出て夫の家系になる。
事実上、親元を離れるということに急にまた悲しい気持ちになった。別れのようなものを感じた。
実家には写真がたくさん飾られている。
幸せそうで、楽しそう。
でもその裏にはたくさんの辛いことや悲しい事があった。
それでも、親は無償の愛を注いでくれた。
見返りを求めて、ここまでできるだろうか。
私は、ここまでできるので自信はいまない。
でも、これから無償の愛を返せるように、変わりたいと思っている。これから、無償の愛を注ぎたいと思っている。
神様、今まで信じてなくてごめんなさい。
今まで、私に無償の愛を注いでくれた人たちに、有償でも、幸せにしてあげてくれませんか。私の周りの、素敵な人たちを幸せにしてくれませんか。どうして私の周りには、素敵な人たちしかいないのですか。素敵な人たちしか周りにはいないのに、どうして私は駄目人間なんですか。